こんにちは。Inishie R plusAブログの時空です。「何事も全て手に入れたら面白くなくなる」というテーマについてです。
おーい。小町よ、欲しいものがあるかー。打ち出の小槌がほしいなら登録免許制だから早く登録しておいたほうが良いぞ。貴重な意見ありがとうございます。
打出の小槌。ほしいですねー。小槌を振ると金銀財宝がわんさか。かの偉大なおとぎ話では、夢のようなアイテムが目白押しですね。ちょうどネコ型のロボットがいたら頼みたくなるアイデアたちでした。
僕はゲームの世界を想像してみます。ゲームの世界って最初小さな村で武具やお金を集めるところから始めるけど、全て持っていたら、どうなるのかな、と。いやー、たぶん楽勝すぎて、魔王を倒すための勇者の剣と盾も持っているんだろうなーと淡い夢を抱いてみます。
一方、現実ではどうか。ビリオネア並みにお金を持っていて、容姿端麗、頭脳明晰。あらゆるものを持っている。そんな人生は楽しいのだろうか。僕は一つの仮説を立ててみます。足りないものがあるから、それを得るために努力するから、人生は楽しい。
思えば僕たち人間は生まれた当初、何も持たずに生まれてきます。圧倒的な超能力も圧倒的な頭脳もほとんどの人は持ち合わせていないでしょう。だからこそ、人は成長とともに夢を見るのかもしれません。
僕たちが将来の夢を語る時、小学生であれば、アイドルになりたい、スポーツ選手になりたい、と大きな夢を語ってくれることも少なくないでしょう。しかし、大人になるに連れ、会社員になりたい、看護師になりたい、教師になりたい、と現実に向き合わざるを得ない状況となります。
僕たちは自分のこれからの現実に直面して、持っていないものを諦め、手に入れられそうなものを選択するように出来ているのかもしれません。しかし、それは何だか悲しいです。いつになっても大きな夢を持ち続けられる人も一定数いますが、夢を諦める人とどこで道を間違えたのでしょうか。
おそらく大きな夢を語る人は長い間コツコツと努力を重ねてきた人なのでしょう。コツコツ積み重ねた努力で大きな夢も手の届くものであり、それに向かって邁進していることだと思います。
僕は言いたいです。アナタの夢はそこまでですか。まだ可能性が一ミリでもあるのであれば、諦めず頑張ってみる道もあるのではないでしょうか、と。
僕も今当たり前にできることは長い間の積み重ねによって出来るようになったことばかりです。ブログ一つを取ってみても、ブログ歴のべ五年、実働一年半、とそれなりに続いていることが分かります。勉強も一六年続けているし、研究も六年以上続けています。
そんな僕だからこそ言えることは、大きな夢が叶ったとして、その人にとっては喜び狂うことではなくて、本当に当たり前なことであると感じていることだと思います。自分が今までしてきた努力に比べれば、自分の夢の成功は大したものではないし、むしろ少ないと考えても良いのではないか、と思っている可能性もあります。
どんな大きな夢も連続の先にあるもので、朝、目が覚めたら、いきなりビリオネアになっていた!?なんてことは起こるはずもないのです。僕たちはまだ持っていないものがあるからこそ、人生を楽しめているし、億万長者になって不幸になった人たちの話も聞くことがあるでしょう。
足りないことは悪いことではなく、その足りないものを埋め合わせようとする所に人生の楽しみがあるのです。多くのものを持てば持つほど些細なことに悩むようになるのでしょう。多くのものを持っていない人から見れば贅沢な悩みで悩みというほどのものではないと思っていても当の本人は真剣に悩んでいるのです。
僕たちは生まれてから現在に至るまで多くのカードを手に入れてきました。アナタは決して満足が行くほど多くのカードを持っているわけではないかもしれませんが、全てのカードを持っていないということは、まだまだ上があり伸びしろがあるということです。
もし、天井が見えてしまい、その先がないとすると、どれだけ多くのカードを持っていようと楽しみは少なくなってしまうのは論を待たないです。僕たちは持てるカードを駆使して、さらに多くのカードを得る方法を考え実践する所に人生の楽しみがあることを認める必要があるのかもしれません。その先に足りないことに関しても感謝して希望の光だと思える人生が待っているのでしょう。
僕は再び聞きます。アナタは持っているカードに満足していますか。全てのカードを今すぐ手に入れたいと思いますか。人生において必要なカードは時間とともに手に入っていく。そこに
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