神に祈るように1日1日を大切に生きて、この寿命と人生を自分に与えられた使命として全うするために生きる。 2026.05.09更新
こんにちは。β(ベータ)です。今回のテーマは、「神に祈るように生きる」ということについてです。神に祈る。うーん。普遍的な英雄伝では、例えばマンガなどのコンテンツであっても、戦う前によく祈るシーンがあります。戦闘を行う前に神に祈る行為をすることで、気持ちを整え、ルーチンを行い、士気を高め、次々と難敵を倒していくところが、このような英雄伝やマンガの見せ場です。
僕らは、神に祈るとき、何を祈るかというと、合格祈願や安産、交通安全など、様々な得意分野を持つ神様に、その神社を通してお参りに行きます。僕個人にとっても神に祈るのは、ピンチの時や成功した時で、普段とは違う特殊な状況下で神に祈ることが分かります。
神に祈るように生きるとはどういうことでしょうか。永遠のテーマです。
さて、マックス・ウェーバーの著作に『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』という、日本であれば岩波文庫に翻訳されてある古典があります。このような神に祈るように生きるという問題意識について扱っているのが本書です。
彼ら彼女らプロテスタントは神を称えるために必死で仕事をして生きてきました。仕事の成果こそ神への奉仕であり、そのためにプロテスタントはアメリカを代表するビリオネアを多く排出してきました。このように仕事をするという社会的行為そのものが社会をより良くして多くの人々の助けとなってきたのです。つまり、仕事は社会の人々のために奉仕するということであったのです。
僕は、1日8時間の労働であれば、年間250日働いたとして1年間に2000時間働くことになると思います。人間とは面白いもので、この仕事だけでなく、子育てをするような世帯であれば、おのずと働く時間の上限となってしまいます。つまり、フルタイムの2000時間労働以外は家族のために娯楽のために人生の時間のほとんどを使用してしまうということです。
僕は、大きく成功したいのであれば、そのフルタイムの2000時間労働の1.5倍、つまり3000時間働けばよいと思っています。なぜなら、2000時間のフルタイムより量としての労働が増えるので、相乗効果により、その人の仕事に対するスキルや知識が雪だるま式に向上して、生産性が大きく伸びるようになるからです。
鉄は熱いうちに打てとは、つまり若い頃に頑張ったほうが後々、大きな財産になるということです。ちなみに、トリプルワークをして年間フルタイム2000時間の2倍の4000時間働いたとします。どういう計算かと言えば、8時間x250日=2000時間だったので、1日16時間つまり16時間x250日=4000時間働けばいいのです。
その場合、なにより大敵なのは鬱(うつ)になることです。精神状態が優れず、体の調子を壊すのが一番時間を無駄にすることだからです。僕も現在では12時間x365日年中無休で4000時間以上を働きたいと考えています。
結局、世の中は質より量で、量をこなしていれば質が上がっていき、質が上がっても量を維持すれば、仕事の質や生産性は上がり続けることになります。仕事を仕事として捉えるのではなく、遊び感覚で、あるいは趣味感覚で行うことで、遊びをゲームとして、ゲーム感覚で仕事を楽しめるのです。
やはり、仕事を苦痛と捉える現在までに至る学問の常識では、1日12時間労働のような激務をこなすのは難しいのです。仕事を苦痛と思っている限り、いつかは挫折して仕事を辞めなければならなくなります。
さて、本題に戻りますが、神に祈るように生きるとはどういうことなのか。プロテスタントが台頭してきた100年200年前の世界では、テレビゲームのRPG(ロールプレイングゲーム)のようなものは存在しませんでした。当時の仕事への意気込みとしては、何かしらのモチベーションが必要だったのではないかと僕は思います。
現在でこそ、社会人の中には仕事をゲーム感覚で楽しむ人もいるでしょうが、100年も200年も昔の世界では仕事をゲーム感覚で捉える人はほとんど皆無だったのではないでしょうか。そこで、神に祈って神のために奉仕するつもりで仕事をすることで、人々はそれなりに社会的な成功を手にしてきたのだと思います。
神に祈るように生きる。つまり、日々懸命に仕事に励み、仕事から受け取った果実に感謝して、家族に日々ありがとうと礼を尽くすことで、神のような漠然としたものに祈るような生き方ができたのかもしれません。
僕は神に祈るように1日1日を大切に生きて、いつ寿命が終わるか分からない、この人生を自分に与えられた役割、つまり自分の使命を全うすることで、感謝とともに日常を生きて生きたいです。読者の皆さんはどう思いますか。
以上です。ご成長ありがとうございました。βでした。
人の一生とは使命を全うするには十分な時間がある!?アナタはチャンスを得るために人事をつくしていますか??
はい。Inishie R plusAブログの時空です。今回は、人の一生に関する考察です。「人の一生とは使命を全うするには十分な時間がある」ということをテーマについて書いていきたいと思います。
人の一生。うーん。人の一生とは儚くも難しい。僕は日々を懸命に過ごすことをオススメします。とにかく猛プッシュした一日を過ごし、朝起きたと思ったら、すぐに日が沈んでいたという状況は案外悪いものではないです。
一日としては集中して仕事などをしているので非常に短いのですが、一ヶ月一年として見た時、一ヶ月前あるいは一年前は遥か昔と感じるのだから不思議です。人の一生は使命を全うするには十分な時間があります。
この言葉は、一日一日を使命を全うするために必死で生きたときに限ると思います。僕は、使命ということに関しては、何を使命と感じるかは人それぞれだと思います。
別に、誰かのために生きる必要もないし、自分の夢であっても、その夢は立派な使命だと思うからです。使命とは将来の夢のことかと考えると少し短絡的すぎてイコールではないよな、と僕は感じます。
だからといって、将来の夢は自分が達成しなければならない目標と見ることも出来るので、将来の夢は使命の一種だと見ることも出来るのです。
仮に、アナタの使命がより良い社会にするために行動を起こすということであったとしても、その使命が悪い方に行かなければ、アナタは何をしたらいいのか、具体的な道筋が見えていることだと思います。
そんな僕も毎日16時間も働いて、ある時使命を全うしたと思ったことがあります。僕が使命を全うしたと思ったのは、自分の仕事に満足して、もうこれ以上求める必要はないと思ったときです。
しかし、今振り返ってみれば、まだまだ道半ばであったし、その先に見果てぬ未来があるのかも、と思うことで、さらに未来が開けることに後になって気づくことになるのです。
僕の経験から言えることは、使命とは自分に与えられた役割のことで、その役割を全うする、つまり自分の仕事に満足することが、使命を全うするということであると思います。
僕は最近であれば、このブログ自体も自己啓発の一種か何かだと思っていますが、使命の一部ですし、ブログを書くことで僕の使命は果たされつつあると見るのが正しいと感じています。
社会に与えられた役割を全うするのは簡単なことではありません。志が高ければ高いほど、より大きな役割を与えられるはずです。
歴史上の偉人たちは大きな使命を果たした忘れられない大物たちですが、そこまで大きな使命でなくとも一人ひとりの人にとっては誠実に社会で生きていれば、成し遂げないといけない目標みたいなものは自ずと見えてくることだと思います。
その目標が一見して無意味なものと見えても、懸命に達成しようとする志の中で、目標は形を変えて本来達成すべき目標へと姿を変えていくこともありえるでしょう。
そこに僕たちの成長と未来があるのであって、一つひとつの課題をクリアしていけば視界が開けて今まで見えなかったことも見えてくるはずです。
僕に関して言えば、ブログは使命の一種だと言えますが、ブログで自己啓発がしたいのか、教育がしたいのか、まだはっきりした形は思い浮かんできません。
しかし、毎日ああでもない、こうでもない、という記録を書き続けていれば、どのようにブログを進めていけば僕の理想とする形、つまり使命が僕の眼前に姿を表すことになるかと思います。
その時になって、力不足だとならないように、まだ新たな使命が見えない現時点で、必要な勉強はこなしておくのが無難であると言えます。僕は人の使命とは、その人にとって適量である実力が必要となる、相応の目標が与えられているのではないかと考えます。
使命というと難しいテーマです。僕の好きな言葉である「人事を尽くして天命を待つ」というコトワザも言わば使命を果たすためには全力で物事に取り組んで準備しておき、来たるべきチャンスを待つという意味で、2段階のシーンが有ることが分かります。
一生懸命に準備する段階と、準備が万全でチャンスを待つ段階。決して実力不足ではチャンスはやってこないし、チャンスがやってきたとしても全うできないと言えるのです。
つまり、日々の暮らしを懸命に生きることで自分の実力が向上して、いつチャンスがやってきても果たせる状態を維持することが大切なように見えます。
一日一日は1時間前に何をしたか思い出せないくらい密度の濃い一日を送る。
言わば1日の短期間では記憶喪失の状態ですが、一ヶ月一年と中期的なスパンを生きる中で振り返ったときに思い出せないくらい昔を感じる。5年10年という長期的なスパンを毎日の仕事という形で積み重なることで圧倒的な実力を備える。
僕も使命を全うしようとして5年10年どころか、そろそろ15年選手になりつつあります。20年30年と訓練を積んだ先輩から見れば、まだまだ先は長いとお叱りを受けるかもしれませんが、15年も使命を果たそうと、もがいていると、自分にはそよ風では、びくともしない盤石な土台があるという確かな自信を感じてきます。
スポーツの世界では、30代半ばになると、そろそろ引退するという時期になってきますが、頭の勝負、あるいはビジネスマンとしては30代40代が一番活躍する年代となります。
僕は現在30代半ばで勝負する時期としては最初の30歳から既に5年経過していますが、当ブログを起点として今後15年で大きく勝ちを得ていきたいと考えています。その第一歩が毎日更新するブログであり、ここからビジネスとして活躍の場を伸ばしていきたいと思います。
僕の使命は数年前まで社会をより良くすること、という大きな目標がありましたが、現在では当ブログを通じて後世の育成と教育という再び大きな使命感を持つことで日々生きています。
まずは後世の育成の前段階として、当ブログの可能性について色々と試してみる所に、僕の成長の伸びしろがあると信じています。
当記事は僕にとっても色々と考えさせられる記事となりましたが、読者の皆さんの反応も気になるところです。僕たちの使命とは日々の暮らしの中にその芽を下ろしています。
日々生きる中で何を目的意識と思い、どのように自分の可能性に挑戦していくのか。使命とは僕たちの限りない可能性を実現するための日々の鍛錬の中にある物なのだと僕は感じています。
アナタの使命は何ですか。アナタはその使命のために、どのような準備をしていますか。アナタにチャンスが訪れた時、そのチャンスをアナタの実力でつかめるように。以上です。ありがとうございました。時空。

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