第238項!!流動性の高いものほど資産として保有したいのか。在庫<預金<商品<現金。2026.05.09更新

第流動性の高いものほど資産として保有したいのか。在庫<預金<商品<現金。2026.05.09更新

こんにちは。β(ベータ)です。今回のテーマは、通貨についてです。通貨と言えば、現金は貨幣の中では最も流動的な資産なのです。預金も換金しやすさや払いやすさでは流動性が高いのですが、現金ほどの流動性ではありません。

貨幣の機能としては、お金の物差しとなる価値尺度、銀行に預ける預金などの価値保蔵手段、物と物の交換を仲介する交換手段、があります。僕はこの点に関しては、交換手段としての貨幣が最も重要だと思います。

なぜなら、預金を積み立てていくことを意味する価値の保蔵手段に重きを置かないのならば、物々交換の手段としての貨幣は大変重要な要素だからです。預金とは通貨であり、お金です。しかし、預金として通貨を積み立てることより、商品としての物に価値を見出すのであれば、交換手段としての貨幣は重要となります。

お金を保有するより商品を保有することに価値を見出すのは価値観の一つです。預金を保有するよりもダイヤモンドや金、銀、車、家などを保有します。戦時下であれば、現金より物の方が価値がある逆転現象が起きます。

そして、次の式が成り立ちます。仮定として”預金<商品”という式が成立します。この仮定は正しいのでしょうか。現金と預金の関係は、商品と在庫の関係に近いものがあります。その上で、預金<現金、在庫<商品、という流動性の高さとなります。

先の仮定が正しければ、在庫<預金<商品<現金という流動性の高さの式となります。商品は既に売れたものであり、預金は銀行に預けてあるものであり、在庫は売れ残りなので、流動性の先の式は妥当なのではないでしょうか。

流動性の高さでは預金<商品<現金という関係式になりましたが、戦時下など状況によっては商品のほうが現金より重宝される逆転現象が起きます。物としての商品の資産性こそ商品が現金に匹敵する立ち位置となれるのです。

”流動性の高いものほど資産として保有したのか”。

人の縁こそ宝!?無人島ではない日常生活であるからこそ僕たちに見えないこと

お久しぶりです。Inishie R plusAブログの時空です。今回のテーマは「人の縁こそ宝。人脈は金にも勝る。」ということについて書いていきます。

当記事に関して時空は軽く流した感じでウェーブさせてくださいという注文なのでご了承ください。さて、人の縁ほど偶然と言えるものはあまり見かけませんね。

人の出会いとは偶然の産物であり、気づいたら人脈ができていたなんてオカルトな体験をした方も多いと思います。特に一攫千金した暁には親戚が大挙して押し寄せるので、間違いなく人脈が増えます。人脈とは有って無いようなもので普段は全然意識することもないはずです。

しかし、いざピンチに見舞われたら意識していなかった人脈から救いの手を頂いたという良心的な人は多いことだと思います。それで結局何が言いたいのか、と結論を急ぐ親御さん。

僕は人脈とは金にも勝る財宝だと考えているのです。言わば、人間社会における全ての営みは人と人の縁によって成り立っているものですし、人間関係なくして、そこに意味のあるものは何もないはずです。

良くこのようなテーマの時に、ロビンソン・クルーソーの話が出てくると思います。ロビンソン・クルーソーはラストではどうなったのか。興味があるので、ちょっと調べてみますね。

カタカタカタ。チーン。ロビンソン・クルーソーの話をあっさり醤油味で調べてみたのですが、本家はなかなかハードなとんこつ味であるようです。完全に無人である島では無いようで、元ネタはB級ホラーのような話であるようです。

ここでは、児童書として子供向けのロビンソン・クルーソーの話で進めさせていただきますね。ロビンソン・クルーソーは長い間、完全無人の島で生活して、最終的に島の近くを通りかかった船に助けられるという話であったと思います。

ロビンソン・クルーソーは自分で道具を作り、食べ物を調達したり、寝床を確保したりしていたことでしょう。ロビンソン・クルーソーの話は無人島とは言え、助かる可能性の有った話なので、まだ自分の生に希望を持つことができたと思います。

実際、僕がロビンソン・クルーソーと同じ身になったら、極力ふて寝を決めこみ、寝床でパソコンをして、いつも寝落ちしていたことだと思います。

つまり、ロビンソン・クルーソーのようなバイタリティは僕には存在せず、この日常社会でも僕にとって人から与えられる承認欲求というものは大きなウェイトを占めています。

承認欲求と言うと、言わばSNSの「いいね」ですが、人から認められたり褒められたりすることに生きがいを感じている人も多いでしょう。アウチィ!!

失敗しました。突然ですみません。当記事は流す感じでウェーブしてください、という注文を頂いた記事でした。僕としたことが本気で記事を執筆するところでした。危ない危ない。

僕がロビンソン・クルーソーであったとしても無人島で一人で生活するなら流す感じでウェーブさせてくださいという生き方を決め込むことが濃厚でしょう。最初は勢いがあるけど、次第にダラシなくなっていき、チーンなんて縁起でもないことが起こりうるのが一般的な無人島生活です。

僕はこの話を書いていて、第二次世界大戦から一人で戦い続けた何とかさんのことに思いを馳せます。本当に一言だけでも周りとコミュニケーションを取る機会があれば、当の昔に世界大戦は終りを迎えて、日本は敗戦国となっていたことを知っていたはずです。

もしかしたら、僕たちが生きる、この日常社会でも無人島で生活するように誰ともコミュニケーションを取らず生きている人は中にはいるかも知れませんね。

年金生活者であれば、お金は毎月振り込まれるだろうし、買い物もレジで袋入りますか、と聞かれるだけで、コミュニケーションの必要はないのです。

さすがに、コロナのように感染病が流行ったら、時間を待つまでもなく、すぐに異変に気づくでしょうが、パソコンやスマホを持たず、テレビもない生活をしていたら、情報というものは入ってこなくなります。

んー。何だか少しオカルティックな暗い話になってきましたね。トンネルから脱出しましょう。うんしょ。どっこいしょ、と。ロビンソン・クルーソーが現代にいても、現代のロビンソン・クルーソーは、彼と同じような生活をしていたことでしょう。

僕は無人島に何か一つ持っていけるとしたら、迷わずサバイバルブックを持っていきたいと申請します。サバイバルナイフでなくサバイバルブックです。

何なら友達として神様を一人連れていけば、無人島は凄まじく文明の進んだ技術立国となっている可能性もあります。なんせ、神様は何でも叶えられるので。

現代のロビンソン爺さんの話まではガチの話になりそうな雲行きでしたが、コペルニクス的転換で神様を友達にしようという神話的な流れに持っていけたのは、我ながら腕があると過信してしまいます。

現代のロビンソン爺さんには僕は口を酸っぱくして次のような助言をするでしょう。「チャンネルはそのままで」。いや、リアルの話だったら笑えないのが当ブログのクールな一面です。

さて、2000文字となりました。最近の当ブログはインフレ気味で文字数が三段腹になっていたのでダイエットします。レッツ、ダイエット!以上です。あっさり醤油味で締めます。締めの一杯といったところでしょうか。レッツ、ダンシング。ではでは。

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