こんにちは。R86plusAブログの時空です。
この世界の存在を証明する根拠はない。僕の見ている人たちは幻想の可能性もあるし、存在するかどうかも疑わしい。これは以前からの哲学のテーマである「我思うゆえに我あり」に通じることかもしれない。死後の世界だとしたら何があり何がないのか。その証明は難しい。神様の存在を証明したりすることに似ている。死後の世界ですら証明するのは難しい。結局、僕が立っている世界は何なのか。一つのポイントは感情にあると思う。自分の中だけで成立している世界では他者に対する感情は必要ないからだ。仏の心は無心。宗教的かもしれないが仏の場合は自分の中で完結する世界なので何も感じない無心なのだ。そういう意味では何かに感動したり怒ったりするのは自分の外のことだからだ。この世界が死後の世界なら僕達は何も感じない映画を見ているだけだと言える。感情こそ自分の外に存在する世界の証明なのかもしれない。しかし、一つ言い加えれば、寝ている時の夢には感情を抱く。さらに、自分の学んだことがない知識が自分の外にあるという点について思いを巡らせれば楽しいかもしれない。
コメント