[リライト]第2項!自己満足の世界だからこそ、自分は普通であり、特別であるという言わば一人のサンプルを平均するために1で割るような結果は何にでもなりうる
今回のポイント:➀これまでの世界は周囲との比較が全ての世界でした②ゲームの時代は過去の自分との比較です③殺しあうでもなく、傷つけあうでもなく、楽しみながら生きていく
こんにちは。R86plusAブログの時空です。戦争、競技、ゲーム。これまでの世界は周囲との比較が全ての世界でした。何事も競争の中で相手との勝負であり、ある一面ではその競争の結果として世界は、そして人間は成長してきました。僕は、この頃まで第二次世界大戦までの戦争の時代が終わり、久しくスポーツやビジネスなどの競技の世界であったと思います。
人と人が殺しあうことは少なくなり、血もあまり流れない時代が続きましたが、多くの競争を強いられる時代となりました。もはや生存競争の時代ではなくなったのですが、学歴やビジネスでの競技の時代です。しかし、血で血をぬぐう争いは減ったかもしれませんが、人と人が争いによって傷つけあう痛みを伴う時代となりました。
僕は人々の間で争いが起こるのは人が集まる場面では仕方がないと思います。その争いを調整するのが昔でいうところの政治であり、今どきの言葉でいうと運営となります。僕は、戦争の時代より競技の時代となったのは良いことだと思います。軍事力がモノをいう時代からビジネスによって競い合う時代は恐怖はなくなりましたが、不安と猜疑心の時代でもありました。
僕はこれからは戦争の時代でもなく、競技の時代でもなく、ゲームの時代であるべきだと思います。他人との比較ではなく、過去の自分との比較。なぜなら、ケンカや争い、嫉妬の原因は人と人との比較にあると僕は見ているからです。自分と他人を比べることで自分の至らなさに不満を感じて怒りや妬みが生まれます。
僕は過去記事で自己満足の世界とは自分は普通であり、自分一人を自分一人で割り算することで平均値として、どんな数値にでもなれるということを提言しました。数人の結果を足して、その人数分で割って平均しても、足した人たちのそれぞれの数値より遥かに大きな値にはなりません。しかし、常に自分をライバルとして自分との勝負を繰り返していれば、自分が努力して成長すればするほど、自分一人で割った結果は大きくなります。自分次第では他の誰とも違う大きな平均値となることも理論的には可能であると言えます。
僕は今後の世界は人と人が殺しあう戦争の時代でもなく、人と人が競争しあって争いの原因となる競技の時代でもなく、ゲームとして楽しんだ結果、多くのものを獲得するゲームの時代であってほしいと思います。殺しあうでもなく、傷つけあうでもなく、楽しみながら生きていく。そんな時代になっていけたら良いのではないでしょうか。多くの人たちが僕と同じような願いを持ってくれると嬉しいです。ありがとうございました。時空。
コメント