第67項!!重力があるから、電動でもない生体装置が生命活動をすることになる、ろ過装置と人間を一つの生命体とすれば、人間は飲んで少なくなった水を新たに上からろ過装置へ流し込む -R86plusA-

こんにちは。R86plusAブログの時空です。

今回は生命とは何かとういことに突っ込んだところまで迫っていきたいと思います。生命というものは水のろ過装置に似ている。上から流れてくる水が装置の中を行き交うことできれいになっていく。
水という液体が装置を刺激して、その作用で水がきれいになっていくと言える。そのろ過装置の終端で人が蛇口をひねるという外刺激を加えれば、蛇口から水が出て、その水を人間が飲むことになる。
そのためには前提としてろ過される水が高いところにあり、ろ過装置という箱の中を位置エネルギーを消費しながら下へ下へと目的地に向かっていく。目的地はきれいな水が一番下にいる人間の口に入ることを意味する。
重力があるから、このような電動でもない装置が生命活動をすることになる。ろ過装置と人間までを一つの生命体とすれば、人間は飲んで少なくなった水を新たに上からろ過装置へ流し込む。その水は多少汚くても、ろ過されるのできれいな水となる。
ろ過装置はプラスチック製でもいいが、重力によって上から下に水が箱の中を流れていき、装置の中の色々な機能を働かせつつ、外刺激の人間が水を飲む。この機能によって電動力がなくても重力さえあれば、プラスチック装置でも生命と同じ働きができる。
つまり、生命が存在するには重力の存在も感じさせる。ここまで読んでくれた読者諸君は不思議に思うだろう。プラスチックのろ過装置は分裂もしなければ、一番上に溜まった水がなくなれば動かなくなる。
ここで、人体について巨大なろ過装置として考えてみよう。しかし、これは「答え」なのであえて僕は考察を書いたりしない。自分でその答えに達せるようになろう。僕はその答えが本当に現実を表していることを願っている。今回はここまで。ではでは。

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